私は光橋国郎(みつはしくにお)と申します。41歳で就農9年、実家就農で稲作専門。住まいは千葉県茂原市(九十九里平野の南部、海から5km、人口9万人弱の都市)です。
特産品は天然ガス、地元にはガスプラントが点々とあり、日本の戦略物資である「ヨウ素(ヨード)」も濾し取られてます。農産物の特産品は昔から米だったらしく、地元の先輩から「野菜の特産品が無いのも其のためだ」と聞いてます。
我が家は代々農業の家系です。しかし、みなさまのイメージしている農家像とはちょっと違うかもしれません。地域柄なのか時代により主力となる生産物が移ろう家です。
爺さんの代には、戦後間もなくオート三輪を購入し、野菜の行商(例えば、茂原のすいかと勝浦の魚で交易、冬至のゆずを船橋に出荷したり)や養蚕など多品目を作り、残飯を集めて豚を育て、子豚を売ってもいたそうです。
親父の代には、タバコと稲作、30年前にライスセンターをつくり集落営農を立ち上げました、当初は麦を作っていたそうですが土地に合わず断念。以降、野菜を作ったり土木作業しながら、稲専門に徐々になっていきました。
茂原市は長生郡にありますが、この地域は昔から教育に力が入っていたらしく、寺が多かったからでしょうか。戦後しばらくすると、農業と公務員の兼業がどんどん増えていきました。畑が多くなく、荒れ地には杉を植えたそうです。高度経済成長で京葉コンビナートができあがった際には地元高校へスカウトが来ていたそうです。
また400年以上つづく六斎市があり今も続いていますが、30年以上前だと大変賑わったそうです。茂原は寺社町であり交易都市でもあります。卸売市場も公設と民営がありました、今では民営の市場だけが残っています。大店舗林立の影響です。公設市場跡地は地元のスーパーが買い取り、大店舗をつくりテナントオーナーとして貸し出しています。
よく「環境が人を生む」といいます。我が家の位置するのは、茂原市の東側「六ツ野」という地区に住んでいます。言うなれば、都市と田舎の境です。家は広葉樹や杉、イチョウなど屋敷林に囲まれ、樹齢100年を超えた楠木がシンボルツリーです。家の前の県道を境に東側にはそういう屋敷が多々あります。 茂原の産業は、1次2次3次がだいたい3等分しています。
農業は米はそこいらで作られていて、北部ではネギや野菜など直売所もあります。西部ではバラが生産されてます。畜産は少なく、酪農家が数件いるだけです。北部には企業の子豚飼育場があり、「周囲に豚農家がなくて病気の心配が無い」そうです。
工業は天然ガスを利用して、当初ガラス産業が興り、日立の工場は真空管からブラウン管と移り、今は小型液晶パネルをつくるジャパンディスプレイの拠点工場があり、三井化学の工場や研究所、沢井製薬の関東工場が大きなところでしょうか。双葉電子というのも地元企業です。
商業は商工会には飲食業が多いらしく、他所の地区の方から「チェーン店以外の店も多い」とよく言われます。公務員が多い関係で資金が多く飲食費が多いようです。あと茂原を拠点として中央へ展開する企業も幾つもあります。
電車では外房線があり、茂原から大網、土気、千葉へと通じるので人の繋がりも起きやすく、血縁から事業が広がることもあるようです。
少し話題をそらすと、テナントオーナーも多いです。交通有利地へチェーン店向けの貸し店舗をつくり、貸し出す事例が25年以上前からありました。農地転用も其れに含まれています。まとめて転用して出来た大型店舗に、カインズ茂原店があります。関東トップクラスの売上を度々達成して今でも上位だそうです。これは交通有利地に、茂原が交易の都市だったから周囲から人が集まりやすく、人口がそれほど多くないので周囲では店を作りにくいからライバルが少ないため、と見ています。
以上、純粋な生産だけの農業者とはちょっと毛色が違うので、「ノウギョウシャ」と名乗らせていただき、さまざま思うところ感じたところを投稿させていただきたいと思います。
公開日時 | 2019/02/08 |
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農家 | 光国農園 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 茂原市 |
農作物 | 米 |